|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 駆逐 : [くちく] 1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction ・ 駆逐艦 : [くちくかん] 【名詞】 1. destroyer ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
ピアリー (USS Peary, DD-226) はアメリカ海軍の駆逐艦。クレムソン級。艦名はロバート・エドウィン・ピアリーに因む。 ==艦歴== ピアリーは、1919年9月9日にフィラデルフィアのウィリアム・クランプ・アンド・サンズ社で起工、1920年4月6日にピアリー提督の娘、エドワード・スタッフォード夫人によって命名、進水し、1920年10月22日に就役した。 1922年から極東で活動。1923年から1931年まで揚子江パトロールに従事する。1931年以降は中国海域でアメリカ合衆国の権益保護のため配備された。 真珠湾攻撃の知らせが届いたときピアリーはフィリピンのカヴィテに停泊しており、1941年12月10日のキャビテ海軍工廠空襲の際に爆弾1発が命中し乗員8名が死亡。また、ピアリーに隣接する魚雷整備工場で火災により魚雷の弾頭が誘爆をはじめたが、ピアリーは掃海艇Whippoorwillによって引き出され、火災はWhippoorwillと駆逐艦ピルズベリーによって消火された。 12月26日、日本軍が再び現れたときピアリーは航行中であり、近くに数発の爆弾が落下した。 12月27日朝までにピアリーはネグロス島Campomanesにつき、その日は擬装を行ってそこにとどまった。5機が上空を通過したが発見されることは無く、日没後にセレベス海を通ってマカッサル海峡へ向かった。翌朝日本軍機に発見され、爆撃、次いで雷撃を受けたが回避した。 新年はオーストラリアのダーウィンで向かえ、以後ダーウィンから出撃して主に対潜哨戒に従事した。2月15、16日、ピアリーはティモール島への増援および補給物資を輸送する任務に参加したが、激しい空襲を受けたためそれは中止された。 2月19日、ダーウィンは大規模な空襲を受けた。ピアリーは急降下爆撃を受けて5発の爆弾が命中したが、1発は爆発しなかった。ピアリーは戦死者80名と負傷者13名を出し、2月19日13時ごろに艦尾から沈没した。 1942年5月8日除籍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアリー (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|